塩への想い

太古の海

塩の大切さを知ってもらうには、生命の誕生の起源を知ってもらう必要があります。

太古の昔、原始の生命は海から誕生し、海水を体液として生きていました。やがて体内に海と同じ体液(超海)を作り、ようやく上陸することができました。生物が現在の私たちのように上陸したのは、約5億年前。約33億年という長い間、生物は海の中にしか存在しませんでした。海という漢字は母なる人の水と書きます。海はあらゆる生命の母なのです。しかし、上陸したことにより、日々失われていくミネラルを、何らかの方法で補給しなければなりません。そこで昔の人は海水を煮詰めて海と同じミネラルバランスの塩を作り、体に取り入れることで、体液(海)のバランスを維持できるようになりました。これが製塩の始まりです。

つまり塩とは、「母親の羊水」という海で育つ赤子のように、母なる海と私たちの体液を繋ぐ「へその緒」なのです。

そのため、私たちが目指す塩は体液と同じミネラルバランスを持った塩。つまり太古の海そのものを目指しています。

塩の近代化

そんな海と人とを繋ぐ重要な役割を果たす塩ですが、現在多くの塩はプラスチックなどの原料として工業用に精製されたものです。本来、海には92種類のミネラルが存在していますが、工業用には純度の高いナトリウムと塩素(NaCl)が必要で、多くの塩はこの二種類が99.8%と非常に高くなっています。塩の近代化を振り返ると、1905年に塩は専売制となり、許可なしに塩を生産することができなくなりました。その後1960年にイオン交換膜式と言われる、海水からナトリウムと塩素だけを取り出せる技術革新が起きました。それにより工業化は一気に進み、塩の価格は暴落、従来の塩屋は経営危機に陥りました。さらには、1971年に塩業近代化臨時措置法が成立し、イオン交換膜法以外の製造が禁止されました。従来の製法で塩を造っていたところは廃業し、多くは工場にとって代わりました。完全に自由化されたのが2002年。その時点でミネラルの偏った塩は、日本中に広がっていました。そしてほとんどの海は工業化により汚染され、以前のような安全でミネラルバランスの良い塩が製造できる場所はほとんど残されていませんでした。

海の豊かさは森の豊かさ

塩づくりに最適な場所を探すため、全国各地を周りようやく山口県の端にある向津具半島油谷島にたどり着きました。油谷湾には大きな二本の川が流れており、海と森の栄養が重なり合う「汽水域(きすいいき)」となっています。「海の豊かさは森の豊かさ」味や旨みを決めるのは森がどれだけ豊かであり、それが海にとどまっているかによります。この油谷という場所は50%以上原生林を残しており、自然そのものが多く残っている土地です。そこで造られる塩は日本でも稀有な、季節によって味の違いが出る塩です。春には春の野山があるように、「海にも海の四季」があります。

この豊かな自然に囲まれた場所で、私たちは太古の海そのものを味わってもらえるように、日々そのような塩づくりに努めています。